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手作り民芸工芸品 駿河屋 経産大臣指定伝統工芸品「駿河竹千筋細工」のお店。      



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  た こ

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凧について

凧(たこ)は、英語では Kite カイト と言います。30年ほど前、ゲイラカイトが、流行りましたね。和凧よりも、よく飛ぶようです。子供が小さい頃は、アンパンマンやピカチュウなどのキャラクターが書かれたカイトをよくあげました。四角い凧よりも翼の形の方が、あがりやすいのでしょう。

木や竹などを組んで骨とし、これに昔でしたら和紙ですね、今ではビニールなどをはり、風の力を利用して空中にあげて遊びます。
凧には、長い糸がついていて、その距離や高さは、糸の長さをかえることによって調節します。風の強い日に、ぐんぐんと高く登っていく凧は、自分が空を飛んでいるようで本当に気持ちがいいですね。


凧は、中国が始まりといわれますが、ヨーロッパやアジア諸国でも古くからつくられてきて、宗教的な占いや軍事、研究などに利用されていました。

アメリカの科学者ベンジャミン・フランクリンが、凧をつかって雷が電気であることをしらべる実験をしたことは有名ですね。また、電話の発明で有名なアメリカの物理学者アレクサンダー・グレハム・ベルは、複数の箱形の枠をつないだボックスカイト(箱形凧)を気象観測に利用して、上空の風速、気温、気圧、湿度を測定しました。

また軍事面では、19世紀後半から20世紀にかけて、敵軍の動向を監視できる高さまで偵察隊をつりあげるのに凧がつかわれたそうです。飛ばすときは良いのですが、どうやって降りたんでしょう。想像すると気持ちいいやら、恐いやらです。

第2次世界大戦(1939〜45)中は、砲撃の目標として利用され、現在では、海空共同救助作業における信号の役割をはたすなど、凧の利用法は多岐にわたっています。空高く揚がる凧は、本当に目立ちますからね。


さて、日本の凧は、平安時代に中国から伝わったと言われます。
当初は、凧と呼ばず、紙鳶(しえん)〜紙のとんびですね〜紙老鴟(しろうし)とよばれ、凧揚げは技芸の一種でした。
「凧」とよばれるようになるのは江戸時代からですが、それ以前には、関西などでは「いか」ともよばれていたんです。しっぽがビロビロしてるところは、分かる気がしますね。(笑)

鎌倉時代には、軍事用に利用されることが多かったそうです。どんな使われ方をしていたんでしょう。よく、忍者が大きな凧にのって、お城の天守閣なんかに舞い降りるというお話がありますが、うまく行くんでしょうか。

さて、印刷技術が発達して量産が可能になった江戸時代には庶民にも広まり、お節句やお盆の行事などに、大人たちがあげましたが、今のように正月の風物詩としてしたしまれる、子供による凧揚げは、幕末から明治初期にかけておこなわれるようになりました。

大人が揚げるお節句のためのたこ揚げといえば、静岡県浜松市のたこ揚げ祭です。
毎年、5月のお節句の頃、中田島砂丘で開かれますが、初めて子供が産まれた家ではお祝いに初子の凧を作ってみんなであげてお祝いをします。
また、各町内ごと作った凧で糸切り合戦をしますが、実は糸を切られた凧を回収するのが大変で、風の強いときには、何十キロも遠くに飛ばされたりするそうです。
浜松は、同じ県内ですが、渋滞が恐くてまだ行ったことがありません。一度行ってみたいですね。


日本の凧(和凧)は、四角い角凧、奴凧、まといの形など、さまざまな形をした変わり凧などがありますが、長いしっぽをつけて安定させる形が一般的です。
また、和凧には、武者絵などの色彩豊かで遠目にもよく見える図柄がえがかれることが多く、寿や竜などの文字が一文字描かれた凧もあります。これらの凧は、たんなる遊びではなく、子供の成長や将来の多幸、豊作祈願などの願いをこめた縁起物としてあげられます。浜松の大凧には、町内のマークと初子の名前が入ってますね。

"凧" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2001 を参考、一部引用しました。


     

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