■伝統的工芸品「駿河竹千筋細工」■

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■第一回 伝統工芸士 小林 昭輔■


小林さんのお宅は、「するがや」から、300メートルくらいの所に工房があり、私も気軽に良く訪れています。
体も大きくて180cm位あります。
今回、静岡市の広報に載りましたので、その中から引用します。

◎「私なりの竹千筋細工。今回の受賞作品「角切盆」もそうですが、千筋と編組(へんそ)の組み合わせ方が課題なんです」

新作の開発には、たいへん意欲的で、新作展では、うちの父黒田英一と数で争っています。また、数だけでなく、関東通産局長賞3回受賞と質も高く、「駿河竹千筋細工」一かもしれませんね。
また、体験工房「駿府匠宿」のキットも好評です。

◎「細かな作業は妻に手伝ってもらっています。ここまでこれたのも妻のおかげです。二人で一人分ですね」

いつも奥さんと二人で作っていて、その仲の良さ、素早さにはびっくりです。

花器「なでしこ」は、お花も生けやすく人気商品です。



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■伝統的工芸品「駿河竹千筋細工」 第2回 登呂遺跡 ■

吉野ヶ里などの発見ですっかり影が薄くなってしまった登呂遺跡。その前までは、弥生時代の代表的遺跡として各地から修学旅行の学生で大人気でした。

登呂遺跡は、静岡市にある弥生後期の集落遺跡で、杭や矢板をならべて区画したたくさんの水田跡、住居跡、高床倉庫跡などがあり、弥生農村の実態がわか
ります。
遺物類は弥生後期、2〜3世紀ごろの登呂式とよばれる土器を中心に、木製農耕具・狩猟具などが大量に出土まししたが、石製品はそれほど多くありません。
(参考、Microsoft(R) Encarta(R) 97)

この遺跡から竹製の籠やざるが出土しています。登呂遺跡の近くに流れていた安倍川の上流には、今も良質の竹が生えています。登呂の人々もこの竹を身近に使っていたんですね。

ところで、登呂遺跡は、最近発掘作業が再開されました。吉野ヶ里や三内丸山以上の発見があるとうれしいですね。

○「新発見目指し登呂遺跡の再発掘」のページ
http://www2.tokai.or.jp/marco/henbo/toroiseki.htm


■伝統的工芸品「駿河竹千筋細工」 第3回 徳川家康公 ■

静岡、というと忘れてはいけないのが大河ドラマ「葵徳川三代」でもおなじみの徳川家康公。
関ヶ原の合戦の後、駿府(静岡市)に住んでいたのですが、その時に大好きだった鷹狩り用の餌籠を、鷹匠同心に竹で作らせたと、伝えられています。
お城の近くには、今も鷹匠町という地名があり、駿府城跡には、鷹を腕に付けた家康公の像があります。
竹の餌籠なんて、珍しくないのかもしれませんが、やっぱり静岡ですから、家康にひっかけたいんですよね。(笑)

ちなみに名物「安倍川もち」も、安倍川上流の金山開発に力を入れていた家康公が、金粉にひっかけた、きなこ餅の献上品を喜んで「安倍川もち」と名付けたそうです。
安倍川もちもいろいろありますが、よくテレビなどに登場するのは、石部屋さん。旧東海道の安倍川橋のたもとにあり、昔ながらの方法で一つ一つ丁寧に手作りし、伝統の味を守り続けています。実は、わさび餅がおいしいそうで、お酒のつまみにもいいようです。
うちから、1キロほどのごく近くなんですが、残念ながら行ったことがありません。(^^;

 ●石部屋さん。静岡市弥勒(みろく)2-5-24/054-252-5698


■伝統的工芸品「駿河竹千筋細工」 第4回 天海大僧正 ■

元和6年(1620年)、駿府城で開かれたお花見の席で、天海大僧正が竹の枕を使ったと言われています。徳川家康公は、元和2年(1616年)に亡くなっています。

竹の枕が珍しかったのかは、よくわかりません。時代劇では、竹の枕ってあまり出てきませんものね。
中国では、夏、竹の抱き枕を使っているところをテレビで見ました。涼しそうですが、とげも刺さりそうです。(笑)

さて、天海さんですが、こないだの「葵徳川三代」に出てきましたね。
家康公を「権現」という神様にしたり、上野の寛永寺を作ったりしました。
時代劇では、不敵な悪役で出ることもありますね。(笑)
一説によると、光秀に本能寺の変をそそのかせた家康が、秀吉に負けた光秀をこっそりとかくまい天海に変身させたそうです。
「駿河竹千筋細工」には、あんまり関係ありませんが。(^^;


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