■ 浅間神社 七不思議 ■

浅間神社の神社

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浅間神社の中には、いろいろな神社があります。

1. 冨士新宮 浅間神社

浅間神社大拝殿静岡浅間神社は、正式には「冨士新宮 浅間神社」と言います。

平安時代の延喜元年(901年)に醍醐天皇の勅願によって、前回特集しました「富士山本宮浅間大社」からご分霊して、「冨士新宮」としてお祀りされました。
今年で、ちょうど1100年と言うことで、秋には、いろいろな行事があります。
おもしろいことに、富士宮や富士吉田の浅間大社は富士山に向かってお参りするのに、静岡の浅間神社は、富士山を背にしてお参りします。理由は、わかりません。また、聞いてみますね。あなたのお家のそばにもし、浅間神社がありましたら、向きについて調べてみて下さい。

さて、浅間神社ができた1100年前について調べてみました。
平安時代、897年、醍醐天皇(だいごてんのう)は即位し、浅間神社ができた 901年(延喜元年)、菅原道真を太宰府に左遷しました。後に、たたりをおそれた天皇は、京都の北野天神を建てました。道真は、すぐれた学者だったことから学問・芸道の神としても崇拝されていますね。浅間神社との関係は、どうなんでしょう?
また、このころ「竹取物語」ができています。竹取物語と浅間神社と前後してできているところがおもしろいですね。

 


舞殿2. 駿河国総社 神部神社(かんべじんじゃ)

浅間神社の舞殿前の賽銭箱(左写真)を見ると、2つの紋が書いてあります。(右写真)
左は、浅間神社、右は、神部神社の紋で兼用になっています。つまりこの賽銭箱に入れると両方にお願いができるんです。便利ですね。(^^)

さて、今回は、この神部神社について調べてみましょう。

ご鎮座は、浅間神社よりずっと古く、第10代 崇神天皇の御代(約2000年前)と伝えられています。

崇神天皇は、第10代ですが賽銭箱、実在した人物で、「古事記」や「日本書紀」では事実上の始祖と言われています。

ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)。大国主命のことですね。

2000年前と言いますと、静岡では、登呂遺跡のころです。この地方では、もっとも古い神社で、延喜式内社です。

延喜式 (えんぎしき) とは、905年(延喜5)から967年(康保4)にかけてまとめられた規則です。浅間神社が901年(延喜元年)でしたね。

もともと、神部神社があったところに浅間神社が加わったようです。それで、浅間神社は、富士山を背にして拝むのでしょうか? 

(参考:Microsoft(R) Encarta(R) )


赤鳥居3. 大歳御祖神社(おおとしおみやじんじゃ)

駿府公園の市役所側から静岡浅間神社に向かってのびる通りを宮ヶ崎通りと言います。突き当たりに大きな赤い鳥居(写真、左)があり、その奥が「大歳御祖神社」(写真、右)です。
私は、小さい頃は、そこが浅間神社だと思っていました大歳御祖神社。実際、町の方から浅間神社境内にはいると、一番目立ちます。見ているとお賽銭を入れる方も多く、七五三の時期には、記念撮影もしています。

主祭神は、大歳御祖命(おおとしおみやのみこと)で、ご鎮座は、総国風土記によると、第15代応神天皇(約1700年前)の時と伝えられます。安部の市の神様なので農・漁・工・商などの産業の神様です。


4. 麓山神社(はやまじんじゃ)

古来は、賤機山上に鎮座して、「山宮」と称せられました。現在は、100段の階段を上ったところにあります。力強く黒を基調にした漆塗り極彩色です。主祭神は、コノハナサクヤヒメのお父さん オオヤマツミノカミ(大山祇神) です。

伝説では、サクヤヒメに求婚したニニギノミコトに、父、オオヤマツミノカミは、サクヤヒメとともにその姉のイワナガヒメ(磐長姫)もさしだしましたが、姉の方は醜かったので帰されてしまいます。
父はこれを恥じて呪いますが、この呪いがこわいんです。
父は、ニニギに「あなたの寿命は花のようにうつろいやすくなるでしょう」と言います。この一件から、ニニギの子孫であるとされる天皇の寿命がそれまでより短くなったそうです。

さて、昨年と今年行われる昇り祭では、サクヤヒメの一行は、この麓山神社で一泊します。→浅間神社のお祭り

(参考:Microsoft(R) Encarta(R) )


浅間神社境内見取り図〜 Shizuoka Sengen Shrine - Clickable Map

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