色々なお宅をおじゃましていると、季節やイベントごとに玄関をディスプレイしているところが増えてきています。
始めてみると、これが案外楽しいですよ☆
うちは、ネットショップなので、お客さんといっても、郵便屋さんや、宅配の集配、町内の方ぐらいですが、やっぱり、うれしいのは家族です。
ただいま〜と、帰ってくる、子供たちが、「あれ、今日変わった? すてきだね」と言ってくれるととってもうれしいですよ。
また、自分も、外から帰ってきて、このディスプレイに迎えてもらうと、本当にうれしいです。いやしですね。
おひな様と言っても、七段飾りは、玄関には飾れません。
それよりも、簡単に、お内裏様、おひな様を飾りましょう。
一人暮らしの方にも、ぜひ飾っていただきたいおひな様です。(^o^)/
この時期、春を思いながら、おひな様を出すのがとても楽しみという方も多いでしょう。
私の小さな頃には、5段飾り+お人形が数点ありました。もちろん、私のではなく、妹のですよ。
あのころは、今ほど家は広くはなかったのですが、物も少なかったのでしょう、一部屋の半分以上を占めていましたね。
雛壇の下は、格好の秘密基地でした。\(^O^)/
時代は移り、うちの子供たちには、5段や7段などの大がかりなおひな様は、置く場所がなく、せいぜい、お内裏様とおひな様、あとぼんぼりと、お花、それにおもちくらい。
でも、なんとなく、春が感じられるんですよね。
また、最近では、少子化や核家族で、娘さんがいないというお宅が少なくありません。
そんなお宅でも、おひな様で、春を感じたい!ということがありますよね。
そこで、ぜひお使いいただきたいのが、このおひな様。
陶器というと、やや冷たい印象がありますが、ふわふわと丸い感じがとても暖かく感じます。
ミニ畳や毛氈なんかひくと、また豪華になりますよ☆
■ 雛祭り ■
1.段飾り
3月3日は、桃の節供、桃の日と呼ばれ、おひなさま〜雛人形をかざり、桃(もも)の花、菱餅(ひしもち)、菓子、白酒などをそなえて、まつりますよね。おひなさまは、私の子供の頃は、段飾りが多く、妹ができたときには、これでおひなさまが飾れる!と喜んだものでした。(^^)
一般的な7段飾りは、一番上段にお内裏様(だいりさま)(2人)、2段目に官女(3人)、3段目五人ばやし、4段目右大臣、左大臣(2人)と菱餅、5段目衛士(えじ:3人)と橘(みかん)と桃、6段目、雛道具、7段目駕籠(かご)と御所車のようにかざられます。狭い和室にドン!と飾るので、寝る場所がなく、階段状の下に布団を敷いて寝ていました。
今は、マンションなどでも気軽に飾れるように、平飾りとして、お内裏様だけとか、3人官女までということが多いです。
また、特に女の子がいなくても、春を楽しむために、玄関に桃の花と共に、おひなさまを飾るのも楽しいですね!
2.みそぎ
もともと日本では古くから、水で身をきよめて、けがれれをはらう、みそぎが行なわれていました。
そこへ、中国から形代(かたしろ)による呪法(じゅほう)がはいってきます。紙・布・木などで人の形をした人形(ひとがた:呪具)で、身体の悪いところをさすって身のけがれや病をうつすします。
今でも、私達の町では、6月30日の輪くぐりさんでは、紙で作った人形で、頭をさすって、「頭が良くなりますように」、とか、おなかをさすって、「いたくなりませんように」とか、また体中をさすって、「夏病みをしませんように」などとやって、この人形を神社に納めますよ。
さて、このお祓いや人形にこめられた思いが、中国の上巳節や雛遊びとむすびつき、雛祭になっていったようです。
今も、まつりおわった雛人形を川にながす流し雛の風習が各地にあり、けがれを祓う心をつたえていますね。
3上巳節(じょうしせつ)から雛祭りへ、
雛祭りは、中国の上巳節(じょうしせつ)が始まりといわれます。
漢代(前202年〜8年)に、3月の最初の巳(み)の日である上巳(じょうし)に水辺で身をきよめる節供行事がありました。魏(ぎ)(220〜265年)のころには、上巳節は、3月3日に行われるようになり、晋(しん)代(265〜419年)には杯を流水にうかべて詩歌をよみあう遊びの曲水の宴がおこなわれます。
上巳節は、日本にもつたわり、大宝律令施行の701年(大宝元)の3月3日には宮中で朝廷・貴族の行事として宴がもよおされ、730年(天平2)には曲水の宴が開かれます。この頃は、雛は紙でつくった小さな人形のことで、平安時代には貴族の女子が「雛(ひいな)遊び」をたのしんでいます。
雛祭の原型は、神様をむかえて災厄を祓い、女の子だけでなく男女の健やかな成長をねがう行事として、室町時代ころからありましたが、江戸中期には雛祭と呼ばれ、女の子の祝い日として草餅、白酒などでお祝いし、江戸幕府によって五節供のひとつになりました。
初期の雛人形は紙製の立ち雛で、どちらかというと質素な感じでしたが、やがて布製のすわり雛が登場し、今のような十二単(じゅうにひとえ)などの王朝風で、内裏(だいり)雛とよばれます。
紙雛はしだいにすたれ、内裏雛を毛氈(もうせん)にならべていたのが段飾りとなり、江戸後期には現在のような見事な段飾りが勢ぞろいします。時々、「なんでも鑑定団」に登場しますね。(^^)
"雛祭" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia
2001 を参考、一部引用しました。