■なつかしいおもちゃ、よもやま話■

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■なつかしいおもちゃ、よもやま話 ■

★おもちゃって、なんでそう呼ばれるのか、ご存じですか?
平安時代の源氏物語なんかには、「明け暮れのもてあそびに...」とか書かれ、「もてあそびもの」とか「あそびもの」とか呼ばれていました。
室町時代には、御所の女房たちの間で、女房詞(にょうぼことば)というのがはやりました。これは、上に「お」をつけて下の方を略したんです。たとえば、「なすび」を「おなす」と呼んだり。
こういう風に、「もてあそびもの」が「おもて」〜「おもちゃ」になりました。


■ 凧あげ ■

凧(たこ)は、英語では Kite カイト と言います。30年ほど前、ゲイラカイトが、流行りましたね。和凧よりも、よく飛ぶようです。子供が小さい頃は、アンパンマンやピカチュウなどのキャラクターが書かれたカイトをよくあげました。四角い凧よりも翼の形の方が、あがりやすいのでしょう。

木や竹などを組んで骨とし、これに昔でしたら和紙ですね、今ではビニールなどをはり、風の力を利用して空中にあげて遊びます。
凧には、長い糸がついていて、その距離や高さは、糸の長さをかえることによって調節します。風の強い日に、ぐんぐんと高く登っていく凧は、自分が空を飛んでいるようで本当に気持ちがいいですね。


凧は、中国が始まりといわれますが、ヨーロッパやアジア諸国でも古くからつくられてきて、宗教的な占いや軍事、研究などに利用されていました。

アメリカの科学者ベンジャミン・フランクリンが、凧をつかって雷が電気であることをしらべる実験をしたことは有名ですね。また、電話の発明で有名なアメリカの物理学者アレクサンダー・グレハム・ベルは、複数の箱形の枠をつないだボックスカイト(箱形凧)を気象観測に利用して、上空の風速、気温、気圧、湿度を測定しました。

また軍事面では、19世紀後半から20世紀にかけて、敵軍の動向を監視できる高さまで偵察隊をつりあげるのに凧がつかわれたそうです。飛ばすときは良いのですが、どうやって降りたんでしょう。想像すると気持ちいいやら、恐いやらです。

第2次世界大戦(1939〜45)中は、砲撃の目標として利用され、現在では、海空共同救助作業における信号の役割をはたすなど、凧の利用法は多岐にわたっています。空高く揚がる凧は、本当に目立ちますからね。


さて、日本の凧は、平安時代に中国から伝わったと言われます。
当初は、凧と呼ばず、紙鳶(しえん)〜紙のとんびですね〜紙老鴟(しろうし)とよばれ、凧揚げは技芸の一種でした。
「凧」とよばれるようになるのは江戸時代からですが、それ以前には、関西などでは「いか」ともよばれていたんです。しっぽがビロビロしてるところは、分かる気がしますね。(笑)

鎌倉時代には、軍事用に利用されることが多かったそうです。どんな使われ方をしていたんでしょう。よく、忍者が大きな凧にのって、お城の天守閣なんかに舞い降りるというお話がありますが、うまく行くんでしょうか。

さて、印刷技術が発達して量産が可能になった江戸時代には庶民にも広まり、お節句やお盆の行事などに、大人たちがあげましたが、今のように正月の風物詩としてしたしまれる、子供による凧揚げは、幕末から明治初期にかけておこなわれるようになりました。

大人が揚げるお節句のためのたこ揚げといえば、静岡県浜松市のたこ揚げ祭です。
毎年、5月のお節句の頃、中田島砂丘で開かれますが、初めて子供が産まれた家ではお祝いに初子の凧を作ってみんなであげてお祝いをします。
また、各町内ごと作った凧で糸切り合戦をしますが、実は糸を切られた凧を回収するのが大変で、風の強いときには、何十キロも遠くに飛ばされたりするそうです。
浜松は、同じ県内ですが、渋滞が恐くてまだ行ったことがありません。一度行ってみたいですね。


日本の凧(和凧)は、四角い角凧、奴凧、まといの形など、さまざまな形をした変わり凧などがありますが、長いしっぽをつけて安定させる形が一般的です。
また、和凧には、武者絵などの色彩豊かで遠目にもよく見える図柄がえがかれることが多く、寿や竜などの文字が一文字描かれた凧もあります。これらの凧は、たんなる遊びではなく、子供の成長や将来の多幸、豊作祈願などの願いをこめた縁起物としてあげられます。浜松の大凧には、町内のマークと初子の名前が入ってますね。

"凧" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2001 を参考、一部引用しました。

「た こ」は、こちらです。


■ こま ■

★お正月には、凧揚げて、こまを回して遊びましょう〜。♪
と昔から歌われていますね。最近は、あまり見なくなってしまいましたが。

さて、こまですが、紀元前のエジプトの遺跡でも出土しているように、形や遊び方はことなりますが、ヨーロッパをはじめ古くから世界中でしたしまれてきました。
日本へは、唐時代の中国から朝鮮の高麗(こま:高句麗)をへて渡来したので、こまと呼ばれました。
その後、回転する動きのおもしろさからさまざまな形態、遊び方が各地で生まれました。
胴に細長い穴をあけたうなりごま、ハスの実状の大きな胴に細い鉄棒をとおした安定性抜群の博多ごま、巻貝にろうをつめこんだべいごま(明治末期には鉄製のものがあらわれました)、戦闘力を高めるために胴に鉄板をまいた鉄胴ごま、2つの胴を尻合わせにつなぎヨーヨーのようにしてあそぶ輪鼓(りゅうご)など多くの種類があります。
鉄胴ごま、べいごまはひもを胴にまきつけ、地面になげつけて回転させます。また、むちごまはむち状のひもで回転するこまをたたいて回転を持続させます。輪鼓は両手でひもをもち、空中で回転させます。
博多ごまは曲ごまとして元禄年間に大流行し、大道芸人や芝居小屋での興行が盛んでした。はやりすぎて問題も生じたらしく、1701年(元禄14)、06年(宝永3)、10年、29年(享保14)と4度にわたって幕府から禁止令がだされています。今日、寄席などで人気のあるこまの曲芸はその伝統をひいています。

力学的にみると、こまは、回転軸を中心とする慣性の法則によって倒れずにいることができます。
これは、アイススケートでスピンする選手がたおれないことや、自転車のタイヤが回転することで、転倒しないのと同じことですね。

投げこま


■ けん玉 ■

けん玉は、剣玉、拳玉とも書きます。
江戸時代の文献に「安永6、7年(1777、78)のころ拳玉というものできたり」とありますが、起源ははっきりしません。
最初は、15cmほどの木製の棒の一端をとがらせ、一方の端をお皿状にえぐり、穴のあいた玉を中ほどに糸を結びつけ、ひもで棒にむすんでいました。
大正ごろから、今のように柄を十字形にしてお皿を三つにするようになりました。

球を空中に投げて片手で棒をもって、ひもをふるようにしてお皿に玉をのせたり、棒の先端に玉をさしたりしてあそびます。
玉のほうをを持って棒の方をふってとがったところを指すのを「飛行機」と呼んだりしますよね。なかなか難しいです。

★けん玉で遊ぼう!★

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■ ビー玉は、B級品? ■


■ 端午の節供 ■

1.中国の端午節

5月5日におこなわれる年中行事で、雛祭り(上巳節)と同じく、古代中国ではじまりました。
五月は干支(えと)では午(うま)の月で、その最初の午の日におこなわれたため、初めの午、すなわち端午といいます。
また、5・5の陽数(奇数は陽数、偶数は陰数)の重なりが重視されて5日に定着したとの説のほか、「端五」がのちにあやまって「端午」となったとの説もあります。

中国の端午節 旧暦5月は盛夏で、長江中流域はむし暑く、6世紀の頃は、疫病や害虫が発生しやすかったので、5月を「俗に悪月」であるといい、邪気や病をさける端午節の諸行事がおこなわれました。
ラン(蘭)をいれた湯に浴し、ヨモギを門戸にかけて毒気をはらい、ショウブを細かくして酒にうかべて飲みました。また競渡(きょうと)とよばれる舟の競漕や薬草採り、五色の糸をひじにかけて災いをさけることなどもおこなわれました。

2.日本の端午節

日本で知られる最古の端午節行事は、以前紹介した雛祭り(上巳節)701年より早く、朝廷による611年の薬猟(くすりがり)です。薬猟は、陰暦の五月五日に、山野に出て、はじめは主として鹿の若角を取りましたが、のち、薬草を採取するようになります。

大宝律令制定の701年には朝廷により競馬(くらべうま)がおこなわれました。律令では端午節に節会をおこなうことをさだめ、平安時代には五節会の1つにかぞえられました。
清少納言は「枕草子」に、「節は五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし」と書いています。

3。江戸時代以降の風習

江戸時代に幕府が五節供の1つにさだめた端午節は、一般にもひろく祝われて、男子の節供となります。

武家社会には模造の飾りかぶとと武具類、のぼりなどを屋外にならべる風習が生じました。これは「ショウブは尚武(武道、軍事を重んずること)に通じる」意からといわれ、のちに室内飾りとなりました。

こいのぼりは江戸中期に町屋でおこなわれました。
「黄河の急流の竜門という滝を登ろうと、多くの魚が試みたが、わずかな鯉だけが登り、竜に化すことができた」といわれる事にちなんで、コイが、立身出世をねがって大空をおよぐようになりました。

端午節の食べ物では、かしわ餅・笹団子・ちまきなどがよく知られています。ちまきは中国でも食べられ、日本では平安時代から米やササゲでつくられています。

Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 、国語大辞典(新装版)小学館 を参考、一部引用しました。


■ ビードロ ■

ポルトガル語でvidroは、ガラスの別名、また、ガラス製の器具のことをいいます。
室町末期、長崎に来たオランダ人が製法を伝えました。初めは酒杯、鉢などの小さな道具だけが作られたので、後に渡来した板状のものはガラスと呼んで区別しました。

さて、おもちゃのビードロ細工ですが、江戸時代、浮世絵師の歌麿が、「ビードロを吹く女」(画像右)という作品を描いたことから、人気があったことがわかりますね。ただし、当時は、ビードロをつくる職人が、江戸・大阪・長崎にいたましたが生産が少なく貴重品とされていました。

ビードロは、珍しくガラスの弾力性を使ったおもちゃです。
口に息をためて縦の筒より中に軽く吹き込み、音がしたら口を離します。底の部分がとても薄くなっていて、「ポッペン!」と音が出ます。あまり強く吹きすぎると割れるときがありますので、注意して下さいね。

昔は、子供のおもちゃではなく、お正月に一年の厄落としの意味を込めて吹いたようですよ。

一部、国語大辞典(新装版)小学館を参考にしました。


■ 雛祭り ■

1.段飾り

3月3日は、桃の節供、桃の日と呼ばれ、おひなさま〜雛人形をかざり、桃(もも)の花、菱餅(ひしもち)、菓子、白酒などをそなえて、まつりますよね。おひなさまは、私の子供の頃は、段飾りが多く、妹ができたときには、これでおひなさまが飾れる!と喜んだものでした。(^^)

一般的な7段飾りは、一番上段にお内裏様(だいりさま)(2人)、2段目に官女(3人)、3段目五人ばやし、4段目右大臣、左大臣(2人)と菱餅、5段目衛士(えじ:3人)と橘(みかん)と桃、6段目、雛道具、7段目駕籠(かご)と御所車のようにかざられます。狭い和室にドン!と飾るので、寝る場所がなく、階段状の下に布団を敷いて寝ていました。
今は、マンションなどでも気軽に飾れるように、平飾りとして、お内裏様だけとか、3人官女までということが多いです。
また、特に女の子がいなくても、春を楽しむために、玄関に桃の花と共に、おひなさまを飾るのも楽しいですね!


2.みそぎ

もともと日本では古くから、水で身をきよめて、けがれれをはらう、みそぎが行なわれていました。
そこへ、中国から形代(かたしろ)による呪法(じゅほう)がはいってきます。紙・布・木などで人の形をした人形(ひとがた:呪具)で、身体の悪いところをさすって身のけがれや病をうつすします。
今でも、私達の町では、6月30日の輪くぐりさんでは、紙で作った人形で、頭をさすって、「頭が良くなりますように」、とか、おなかをさすって、「いたくなりませんように」とか、また体中をさすって、「夏病みをしませんように」などとやって、この人形を神社に納めますよ。

さて、このお祓いや人形にこめられた思いが、中国の上巳節や雛遊びとむすびつき、雛祭になっていったようです。
今も、まつりおわった雛人形を川にながす流し雛の風習が各地にあり、けがれを祓う心をつたえていますね。


3上巳節(じょうしせつ)から雛祭りへ、

雛祭りは、中国の上巳節(じょうしせつ)が始まりといわれます。
漢代(前202年〜8年)に、3月の最初の巳(み)の日である上巳(じょうし)に水辺で身をきよめる節供行事がありました。魏(ぎ)(220〜265年)のころには、上巳節は、3月3日に行われるようになり、晋(しん)代(265〜419年)には杯を流水にうかべて詩歌をよみあう遊びの曲水の宴がおこなわれます。

上巳節は、日本にもつたわり、大宝律令施行の701年(大宝元)の3月3日には宮中で朝廷・貴族の行事として宴がもよおされ、730年(天平2)には曲水の宴が開かれます。この頃は、雛は紙でつくった小さな人形のことで、平安時代には貴族の女子が「雛(ひいな)遊び」をたのしんでいます。

雛祭の原型は、神様をむかえて災厄を祓い、女の子だけでなく男女の健やかな成長をねがう行事として、室町時代ころからありましたが、江戸中期には雛祭と呼ばれ、女の子の祝い日として草餅、白酒などでお祝いし、江戸幕府によって五節供のひとつになりました。

初期の雛人形は紙製の立ち雛で、どちらかというと質素な感じでしたが、やがて布製のすわり雛が登場し、今のような十二単(じゅうにひとえ)などの王朝風で、内裏(だいり)雛とよばれます。

紙雛はしだいにすたれ、内裏雛を毛氈(もうせん)にならべていたのが段飾りとなり、江戸後期には現在のような見事な段飾りが勢ぞろいします。時々、「なんでも鑑定団」に登場しますね。(^^)

"雛祭" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2001 を参考、一部引用しました。


先日、こんなお問い合わせを受けました。

●ビーダマについてお伺いします。
ビーダマはB玉でA玉はラムネの栓に使われていると聞きました。
ガラス球を作る時、完全な球に近いものがA級玉、品質の落ちるものがB級玉。B玉だと栓に不適格でおもちゃとしてだされたんだと。この、説はいかがでしょうか?

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このお話は、売場でも良く聞きます。
お父さんがお子さんに、ビー玉は、B級品のBなんだよ。と教えてます。
国語辞典を引くと、「ビーは「ビードロ」の略」 と書いてありますし、うちで販売しているビー玉は、大きいのもあるし、またきれいな柄もついているので、もちろん初めから、ビー玉として作られています。でも、最初はどうだったんでしょうか?

ところで、ビードロですが、これも国語辞典を引いてみましょう。
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【ビードロ】
(ポルトガルvidro)ガラスの別名。また、ガラス製の器具。室町末期、長崎に来たオランダ人が製法を伝えた。初めは酒杯、鉢などの小さな道具だけが作られたので、後に渡来した板状のものはガラスと呼んで区別した。《季・夏》
ビードロ‐かがみ【ビードロ鏡】 ガラスでつくった鏡。
ビードロ‐がみ【ビードロ紙】 寒天を板に流して乾燥させた紙状のもの。タバコ入れなどに用いた。

国語大辞典(新装版) 小学館 より
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室町末期、酒杯と言うと、珍し物好きの信長、秀吉がきっと楽しんだんでしょうね。
では、ビードロ玉〜ビー玉も信長の時代でしょうか? そんな昔から、ビー玉があったのでしょうか? 


ビー玉遊びは、いつから始まったのでしょうか?Microsoft(R) Encarta(R) によると、

実は、ビー玉遊びのルーツは古く、平安時代に貴族社会で賭事としてもてはやされた「銭打ち」からといわれています。
地面にいくつかの銭をならべておき、適当な距離から自分の銭を相手の指示する銭になげあてるもので、平安時代の書物にも紹介されています。
その後、賭事の「銭打ち」は、鎌倉、室町、桃山時代に続きましたが、江戸時代にはいると、「穴一」と名前をかえ、子供の遊びの中に浸透していきました。もちいる物も、禁止された銭にかわり、泥めんこ、おはじきにもつかうキサゴの貝殻、クルミ、銀杏(ぎんなん)の実などにかわっていきました。

さて、明治時代にはいると、穴一の流行に目をつけた玩具業者が粘土をまるめて焼き、彩色をして売りだしました。これが現在のビー玉の前身です。その後、ラムネ瓶が出現し、瓶の中のガラス玉がビー玉としてもてはやされ、明治中期には、大阪の玩具業者がビー玉の製造をはじめました。

と言うことなので、ラムネと関係ないわけではなさそうです。当時の子供たちが、ラムネを買っては、瓶を割り中の玉を取り出して遊んだ様子が目に浮かびますね。

ただ、明治時代のランク付けで、A玉、B玉と言ういい方をしたかどうかは、定かではありません。ラムネは、ハイカラな飲み物なので言ったかもしれませんし、ビードロと言ういい方も流行っていたのかどうかもよくわかりません。
始まりは、どうかわかりませんが、すぐにビー玉として作られたようですね。


■ 万華鏡 ■

万華鏡は、円筒の中に長方形の鏡をを三角に組み、きれいな色紙などの小片を入れたものです。
その筒を手でまわしながら、筒の端の穴からのぞくと、いろいろに模様が変化します。
日本では、にしきめがね、ひゃくいろめがね、ばんかきょう。また、外国では、カレイドスコープと言います。

万華鏡(カレイドスコープ)は、200年ほど前の1816年にイギリスの物理学者デイビッド・ブリュースター(1781〜1863)により、発明されました。
ブリュースターは、灯台の光を遠くまで届かせるため鏡を組み合わせていて、万華鏡を発明したそうです。当時は大人気で、売り出すと、3ヶ月で30万個も売れたそうです。

日本にもすぐ伝わり、3年後の文政二年(1819年)には「紅毛渡り更紗眼鏡流行 大坂にて贋物多く製す」と「摂陽奇観」に書かれていることから、「外国からの万華鏡が流行り、大阪で偽物がたくさん作られた事が分かります。さすが、大阪ですね。
この頃は、日本史で習った「化政文化」の頃で、東海道中膝栗毛などの町人文化が盛んでした。

さて、明治時代には、にしきめがね、ひゃくいろめがね、と呼ばれたそうですが、今の形に落ち着いたのでしょうか、朝の連続ドラマ、「すずらん」なんかにも同じ物が使われていましたね。

万華鏡は、民芸屋さんの定番商品になりましたが、今では、カレイドスコープとして、いろいろな作家さんがオリジナルを作り、また東急ハンズなどでも材料が売られ、癒し系グッズとして、大人気です。


なつかしい!おもちゃは、こちらです。