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1.中国の風鐸
夏の風物詩としておなじみの風鈴。
軽トラに風鈴をいっぱいぶら下げて走る風鈴売り。あまり見なくなってしまいましたね。さて、この風鈴、古くは風鐸、鉄馬と呼ばれていました。三国志に出てきそうな名前ですが、そのはずです。
約2000年前の中国、唐の岐王が竹林に玉片を東西南北に掛けそのふれあう音で風を占い、これを「占風鐸」と呼んだのが有名だそうです。(初耳ですが)「鐸(たく)」とは、もともと中国で儀式などの時にならした道具のことです。銅鐸が有名ですね。文事には、木鐸、武事には、金鐸が使われるのが普通だったそうですよ。
2.日本の風鐸中国で儀式の時に使われていた風鈴(風鐸)は、遣唐使によって、仏教と共に日本に伝えられました。
お寺の仏堂や塔などの軒の4隅につり下げられ、広い境内で風向きを知るためなどに使われたようです。また、風に吹かれて中心に吊した舌がたてる「ガランガラン」という音が魔よけになると信じられました。音が聞こえる範囲の住民には災いが起こらないとされ、平安、鎌倉時代にはお寺だけでなく、貴族の屋敷でも軒先に風鐸を吊すのが流行したそうです。
今でもお古くから伝わるお寺のお堂の四隅には風鐸が吊された光景を見ることができますよ。探してみて下さいね。
3.風鈴と呼ばれて
中国から仏教と共に伝わったのは、「風鐸」ですが、これに「風鈴」という名前を付けたのは、念仏で有名な「浄土宗」の開祖、鎌倉時代の法然上人です。もともと、風を占ったり、儀式に使われたりした「風鐸」だったのですが、魔除けや権力の象徴となっていくにつれて「風鈴」という名前が定着したようです。
さて、青銅製が多かった風鈴ですが、人気の江戸風鈴のようなガラス製の風鈴が現れるのは、江戸時代の中頃の享保年間(徳川吉宗のころ)です。
長崎のガラス職人が、大阪、京都、江戸で売り出したのが始まりといわれていますが、当時、ポルトガルから製法の伝わったガラスは、ビードロと呼ばれ、はじめの頃はとても高い物だったでしょうから、大名や大きな商人のお屋敷で大切に飾られていたんでしょうね。
4.ガラス風鈴大人気
江戸中期、享保年間というと暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗の時代ですね。だいたい1720〜30年頃です。その頃、大名や豪商の間でだけ楽しまれたガラス風鈴ですが、それから100年後、天保年間(1830〜43)には、江戸でもガラスが作られるようになり、加賀屋、上総屋などの問屋が出現します。この頃から、風鈴は、夏の風情を楽しむ粋な道具へと姿を変えていきます。
そして、明治維新(1868年)後は、西洋のガラス製造技術も導入されて、生産量も一気に増え、今もその人気は、南部風鈴と並んで、夏には、なくてはならない風物詩となっています。
5,これからの風鈴
平安時代、風鐸として伝わったころ、風鈴は青銅製でした。
「駿河竹千筋細工」でも使われている南部風鈴などの鉄や鋳物の風鈴は、音色の良さと丈夫さで人気がありますね。形も普通の釣鐘型や灯籠型の従来の物から、洋風でおしゃれなデザインの物も作られるようになりました。
涼しげなガラスの風鈴は、江戸風鈴などの宙吹きガラスが多いのですが、その中で、江戸切り子、バーナーワーク、沖縄ガラスなど、ガラス工房や作家さんたちの新作も出てきていますね。
有田、備前、九谷などの焼き物の産地でもその特色を生かしたさまざまの陶磁器の風鈴が作られています。
そして、竹炭などの炭の風鈴です。硬く焼きしまったな炭は、金属的な澄んだ音を出す上に、空気清浄効果やマイナスイオン発生など、癒し効果もあるそうですよ。また、ご近所に遠慮して、つるしにくくなってきた軒風鈴に代わって、置き風鈴が注目されてきました。
窓際の風通しの良いところに置きますと、お部屋からも楽しめて、また夜間は、外に音が漏れずに良いようですよ。クーラーがあるからとか、近所迷惑と言われてしまう風鈴ですが、季節感の薄くなっていく中で、これからも夏の風物詩の代表となっていくでしょう。
(おわり)
"風鈴" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia
を参考、引用しました。
駿河竹千筋細工「風鈴」ご感想お待ちしています○工芸こだわり隊