手作り民芸工芸品 駿河屋 経産大臣指定伝統工芸品「駿河竹千筋細工」のお店。 「駿河竹千筋細工」 虫 籠 工芸楽しみ隊!

■虫籠よもやま話 ■

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夏から秋の夜を彩る虫たち。
鈴虫やコオロギなどを飼って楽しむ文化はいったいいつごろからあったのでしょうか?
また日本だけなのでしょうか?
少しずつですがご紹介してみたいと思います。


.■ 虫 ■

虫は、なぜ虫というかご存じですか?
実は、ムシの語源は「蒸して生じるもの」といわれています。
近代以前には中国の本草(ほんぞう)とういう植物学の影響で、鳥獣魚介をのぞく全動物を「むし」と呼びました。
そういえば、ヘビ(蛇)もトカゲ(蜥蜴)も虫偏だし、哺乳類のコウモリも蝙蝠と書きますね。
おかしな事に、にじ(虹)まで虫偏です。虹には、オス、メスがあるそうですが・・・。

"「虫」と日本人の関係を知る本" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia
を参考、引用しました。(つづく)


.■ ホタル ■

ほたるは、「蛍」また「螢」と書きますが、「火垂」とも書きますね。
これは、草むらで光っているメスをめがけて、高いところから落ちていくオスの姿が、火が垂れるように見えるから、といいます。

「恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬホタルが 身を焦がす」という都々逸がありますが、この時期、うるさいセミに比べて、ホタルは、かわいらしいですね。

6月から7月は、ホタルの季節で、ニュースでも清流に飼育されたホタルの様子が取り上げられています。

以前、静岡市駿府公園、紅葉山庭園の、ホタル鑑賞会に行って来ました。
たくさんの人で、びっくりしましたが、町中でも見られるようになり、うれしかったです。

数年前、ホタルがいるとの噂を聞いて、車で20分ほど走ったところにある茶畑の間の清流に、見に行ったことがあります。

車を降りて、真っ暗な中を手探りでしばらく歩くと黄緑色の光がフワリフワリと舞っていました。この世の物とは思われない幻想的な光景に言葉をなくしました。
やっぱり、自然の中で見るのが良いですね。

さて、電灯のなかった昔の人は、ホタルをたくさん採ってきて、蚊帳の中に入れて楽しんだり、虫籠に入れて、灯りの代わりにしたといいますが、あの光を集めても、効果はあったんでしょうか? (つづく)

本物そっくりに竹で作ったホタルです。


■ 江戸の虫売り ■

皆さんは、小泉八雲さんをご存じですよね。
耳なし芳一などの怪談で有名です。

この小泉八雲ことラフカディオ・ハーンさんは、(1850〜1904)は、日本の虫聞き文化を研究して詳しく紹介しています。竹細工の虫籠も持っていたんですよ。
それは、さておき。

八雲によると、虫売りの元祖は、神田の煮売り商人(おでんや)忠蔵だそうです。「江戸っ子だねえ」、「神田の生まれよ」というくらいですから、ちゃきちゃきの江戸っ子ですね。

寛政年間(1789〜1801)、彼は、町まわりをしていたとき、根岸の里でたくさんのスズムシを捕まえました。

根岸というのは、上野の北側、鶯谷のあたりです。ここは、江戸時代には、初音の里とも呼ばれ、ウグイスが多かったそうです。神田からは、3キロぐらいでしょうか?

忠蔵は、捕まえた鈴虫を、家で飼育する気になり、囲いをして飼っていると、鳴き声に聞きほれた近所の人たちが、次々に譲ってくれといい、それをきっかけに虫売りに商売替えしたのがはじまりだそうです。

江戸時代でも、鈴虫は町中に、いなかったんですね。



■第二回 江戸の虫売り 2 幼虫がうごめいている ■

忠蔵の鈴虫を買っていったお客さんに丹波篠山藩の、桐山という武士がいました。

だいたい皆さん、そうだと思うのですが、桐山も虫の音を楽しんだ後、つぼの中に入れたままにしてました。

翌年の七月ごろふとそのツボを開けてみたら、多数の幼虫がうごめいているではありませんか。
びっくりして、早速忠蔵を呼んでこのことを話しました。

この虫が毎年つぼの中で人工養殖できると知った桐山は、忠蔵にもっと珍しい虫がいたら取って来いと言いつけ、自分はもっぱら幼虫飼育に工夫を凝らしたのです。
こうして、二人は協力してカンタン、松虫、クツワムシの飼育も出来るようになりました。

おでんや忠蔵と桐山が、成功してからは、虫売りの業者が増えてきました。

現在、その当時の飼育方法の書物が残っていますが、とても科学的で、現在行われている方法とあまり変わらなかったようです。

竹で作ったマツムシです。


■第3回 江戸の虫売り 3 虫売りたち ■

さて、あまり虫売りの業者が増えてきたので、なんとその数を、36人に制限する、という法令が出されてしまいました。ずいぶんなお話ですね。

この36人衆の制限は、天保の改革、(1841年頃)の水野忠邦によって廃止されるまで40年近く続きました。歴史で習った天保の改革が出てくるところがうれしいですね。(^^)

虫売りは、最初のころは虫の名を呼びながら町中を歩き回っていましたが、やがて専用の担ぎ屋台を使うようになりました。

市松格子の屋台に虫籠を満載し使用人たちにかつがせ、主人は派手な装束でそばに付き添い、大声で呼び売りをしたそうです。かなり派手だったんですね。

また、この当時は、もちろん、カメで飼っていたのですが、浮世絵に残る虫売は、猫足を持つ竹細工の虫籠を使っています。

竹ひごで作った四角いものや、六目で編んだ虫籠など、立派な虫籠をいくつも吊して、売り歩いていたようですね。


源氏物語
源氏物語 (げんじものがたり )は、11世紀初めに紫 式部が記した物語で、平安時代の女流文学の代表作です。

一般的に全編54帖(じょう)を3部にわけ、光源氏の栄華への軌跡を第1部、その憂愁の晩年を第2部、次世代の薫や匂宮(におうのみや)の物語を第3部とします。
第3部最後の10帖は、宇治を舞台に展開することから「宇治十帖」とよばれています。
( Microsoft(R) Encarta(R) より引用.)

さて、この第二部に「鈴虫の帖」があり、鈴虫や松虫の声を楽しんでいます。
光源氏は、もう50才になっています。

鈴 虫

(前略)
ちょうどそこへ源氏の院がいつものようにお越しになられて、
「虫の音が実によく鳴き乱れる夕暮ですね」
とおっしゃって、御自分も低い声でおあげになる阿弥陀如来の陀羅尼が、いかにも尊くほのぼのと聞こえます。

ほんとうに虫の鳴き声が降るように聞こえてくる中に、とりわけ鈴虫の声が鈴を振るように鳴きたてているのが、はなやかに趣深い風情です。

源氏の院は、
「秋の虫の声はどれもみな美しくて、比べようがないのですが、松虫が殊のほか秀れているとおっしゃって、秋好む中宮が、はるばると遠い野を分けてわざわざ探させて集められ、お庭にお放しなさったものでした。
それも野原で鳴く声そのままにありありと鳴いたのは少なかったそうです。

松虫というめでたい名に似ず、命のはかない虫なのでしょうね。人のいない山奥や、はるばる遠い野原では、思う存分、声を惜しまず鳴くというのも、人の気持の分らない虫なのですね。

それに比べると鈴虫は、気軽にどこででも賑やかに鳴くのが、当世風で可愛げがあります」
などとおっしゃいます。

「源氏物語 巻七」 瀬戸内寂聴訳 講談社刊 より引用


どうやら、松虫のほうが声はいいのですが、つんとすました感じ。
鈴虫は、声ではちょっと負けますが、親しみやすさで勝ちと言うところでしょうか?

昔は、どこででも秋の虫は鳴いていたのだと思っていましたが、はるばると遠い野を分けてわざわざ探させて集めて来たりしたんですね。これは、発見です。

かなり、町だったんでしょうか。源氏物語や陰陽師のドラマを見ていると、平安時代は荒れ果てた空き屋敷も多く、コオロギなんかが鳴いていますが、いい虫はやはり集めて来るんですね。


虫籠は、こちらにあります。見てね。


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