静岡市は、家具、建具、仏壇などの伝統産業が盛んで、
製材所や木工屋さん、塗師屋(ぬしや)さんを 町のあちこちで見かけます。
室町時代の頃より「中川大工」と呼ばれた職人が、お椀などを盛んに作っていました。
江戸時代の初め、徳川家康公の駿府城築城や 三代将軍徳川家光公の浅間神社造営のため、全国各地から職人が集められました。
残念ながら浅間神社は、安永2年(1773年)・天明8年(1788年)の二度の火災で全焼してしまいましたが、徳川幕府により文化元年(1804年)
から慶応元年(1865年) までの約60年の歳月と10万両(今の三百数十億円)の費用をかけて、寛永時代同様の社殿を再現しました。
60年という長い年月かかりましたので、職人も何代にも渡って住み着き、そのころ駿府と呼ばれていた静岡市の気候や自然を好み、そのまま住み着くようになり、自分の技術を磨きながら、土地の人々にも得意な技術を教え、静岡の伝統工芸が発展し、現在の木工や漆器、蒔絵の伝統工芸の元になっています。
なお、「駿河竹千筋細工」の始まりといわれる、岡崎の藩士、菅沼一我が技術を教えたのが、天保11年(1840年)ですから、ちょうどこの時期、腕の良い職人が多く住み着いていたときなんですね。
浅間神社(写真右)は、 拝殿のすべてに金銀をちりばめ、総漆塗りで作られています。
今も伝統的工芸品の「駿河竹千筋細工」をはじめ、 漆器、蒔絵、木工、染色などが盛んです。